新年

お稽古は、欠かさず出席して「なんぼ」です。

数回お休みした人に、先生は「いらっしゃい。」と言っていました。もう「外の人」扱いです。

公共の場で演武する前だけ先生に見てもらいに来る先輩もいました。稽古に通える距離に住んでいるのに、合計でも年に数回しか来ませんでした。

また、しょっちゅう稽古を休む人がいましたが、太刀だけを使いたがり、後輩を相手にもっぱら「指導」をし、薙刀をもつことはめったにありませんでした。先生は彼の技を直すことはしませんでした。先生に見放されていることも気づかず、一歩道場の外に出ると、彼は自分がいかに頑張って稽古しているかを他の人に伝えることが重要のようでした。

私の道場でも、天道流や他の流儀の本を持って見学に来た男性がいました。自分がいかに古流の知識があるかを私に説明しました。その人に薙刀を持たせて少し振ってもらいましたが、困った顔をして、二度と戻ってきませんでした。

天道流の稽古は、正面から向き合わなければ、自分のものにすることは到底できません。人と比較する次元の話ではなく、純粋に自分との闘いであり、大変な集中力と努力を要します。

紙から得た知識ではなく、お稽古を積み重ね、自ら技を体現できる人こそ、本当の天道流の「知識」を持っている人と言えるでしょう。

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