武術の元々の目的は、実戦での有効な技であるため、自分の武器が相手の体に届かないことには話が始まりません。

また、一つ一つの技が一撃必殺を目指しているからには、次々と技を繰り出す必要は、本当はないわけです。

ただ、技をいくつか組み合わせて型として練習していることと、木製の代用品を使っているから、なかなか恐ろしい武器を使っている、との実感がわかないため、往々にして本来の目的(一撃必殺)を忘れた稽古になりがちです。

天道流の源流である香取神道流では、本来のターゲット(頭や胴などの体の部位)だけではなく、その近くの部位を攻撃することで、一連の動きから構成される型を成立させている場合もあります。本当はどの部位を攻撃しているか、先生が時々見せてくださいます。

私の場合、天道流の薙刀術の受け太刀の稽古に悩み、天道流を始めて10年程たって、香取神道流にも入門しました。剣の使い方を深く習いたかったので、源流に行ったら間違いないだろうと思ったのです。結果的にみると、自分の天道流の稽古に役にたちました。ただ、私の天道流の先生は、烈火のごとく怒りました。怒られるのは当然だったと、今では思えます。自分の先生では足りなくて、他の先生に師事したことになったからです。昔だったら破門でした。

天道流の先生は天才でしたが、弟子の私は単なる凡才で、ひらめきもなく、愚直に稽古を繰り返してもなかなかわからなかったのです。素晴らしい技を使われる先生に少しでも近づきたいのに、どうして自分はできないのか、という葛藤が長く続き、やむにやまれない決断でした。武甲流の稽古は先生に強制され、弓術、神道夢想流も容認されていたのに、天道流の源流に行くことは許しがたいことでした。天道流に対する先生の想いは極めて厳格でした。

最近、you tube などで天道流の色々な演武の記録を見る機会が多くなっています。武術とは到底思えない、なれ合いの稽古が多く、一挙手一投足が生死にかかわることを知らないように見える人が大半です。一体何をやっているのでしょうか!

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