寒稽古

毎年、1月の寒稽古は窓を全開し、氷のような板の間で、5日間連続で行われました。
先生なき今、私の古巣では寒稽古の予定はあるのでしょうか。

現在の私自身の稽古場では、残念ながら連続の稽古はかないませんが、稽古初めは8日です。
老体には吹きさらしの道場は厳しいものがありますが、考えてみたら私の若いころ、先生は今の私と同じくらいの年齢で、はだしできちんと背筋を伸ばして立たれたまま、私たちの稽古を見ておられたわけです。私とはまったく格が違います。先生の天道流に対する思いとその承継への志があの厳しい立ち姿に現れていたのだと思います。

石突小石返で面を切ったとき、太刀を持って頂いた年配の先輩が、太刀を持つ両手が上段になったまま伸びきって立ち往生してしまったことがあります。

先生は常々、太刀は上の者が持ち、下の者は思いきり大きくズバッと相手を切っていかなければならない、と言っておられました。私が太刀を持つとき、「型がうまくいかないのは太刀を持つ者が悪い」、と言って、どんなときでも必ず私を叱りました。それなのに、先輩が動けなくなったのを見て、「○○さん(私の名前)、あんたが悪い!」と言われたのです。

その時、「先生は理合をひっくり返した!」と、心の中で思いました。「先輩だったら、どんなに早く切って行ってもちゃんと受けられるのが当然でしょう!何で私が悪いのか!」 もちろん口には出さず、謝りました。

若く未熟だったため、技の早さのみに走り、いくら相手が先輩でも、相手が動くのを見極めて次の技を行わなければならない、という心の余裕、技の余裕、見極める余裕がなかったのを、言われたのです。先生は後日、「稽古が進んだら、なぎなたをもって下の者と稽古するときでも、なぎなたで相手を導いてやらなければいけない」と言われました。

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