20代の時、アメリカに行き、武道の道場数か所を訪問しましたが、その際に弓を持参しました。

アメリカのどこだったか、もはや忘れてしまいましたが、アーチェリー用の土地があり、そこで練習させてもらうことができました。なだらかな丘陵で、人里離れた場所でした。

それまで日本にいたときは、まさに稽古三昧で、弓は週2日、天道流も週2日、杖術を週1日と稽古を続けていたので、旅行中に稽古を中断したくなかったのです。

弓を構えて、愕然としました。
稽古する気にならなかったのです。
広大な芝生が広がる茫漠とした空間で、誰も視界の中に存在せず、頭の上は果てしない大空でした

現代の弓は、戦国時代と違って、相手がいない武術です。
的をめがけて稽古はしても、的が実際は生身の人間である、とはほとんど想像していません(少なくとも自分は)。

あの広大な、時間がとまったような空間で、武器をもって練習する意義を見出せませんでした。
まして「弓は立禅である。」などと、気負った考えで、向こうに見えるちっぽけな的に向かう気にはなれませんでした。

自分はどんな理由で武術の稽古をしているのだろう、と考えさせられる出来事でした。

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